ガラパコス野郎

ズレた学生の日記

自意識はある程度抑えなければならない

仏教の教義がイマイチ掴めてなかったけど

最近ようやく分かってきた

自我=自意識 自分を守ろうとするあまり苦しみが生まれる

「自分は特別だ」「世間はどう思っているのか」「嫌われたくない」こういった一人よがりな感情を抑えることで苦しみは無くなる

そのためにはSNSの利用を控える、人と関われる場所に入っていく、趣味に没頭など自意識を活用しない状況を作ろうと思う

 

人の世界観が知りたい

自分がとある作品にハマっているとしたら大抵製作者の精神に注目する

何が言いたいのか どういう価値観なのか

心の中が知りたいと思う

歴史も政治もそういう感情が絡む部分が面白い

人は心だけでは生きてけない

でも、物だけでも生きてけない

相互依存して生きている

これは良し あれも良し

人間としての生き方はどれが正しくてどれが間違ってるかと考える事自体が阿呆らしい

とある選択肢に失敗したら別の選択肢を選ぶべきで執着する必要はない

どうせ常識なんてころころ変わるものだしそれに縛られなくったっていい

本当の自分なんて分かるわけがない

これは良し あれも良し

こういう考え方が心を楽にする

ドラングレイグは遊園地?

ドラングレイグ。

巨人によって滅ぼされたらしい国

亡者を治すためには四人の王(悪寒)を倒してそれぞれからソウルを手に入れなければならないらしく数々の人間が死んでいった・・・

その割には意外と愉快な作りだ

エレベーターを抜けるとマグマまみれの城。

風車を燃やすと毒沼が消える。

呪縛者がどこにでもしつこく付いてくる。

小さな人形が鐘を守りボスは五体のガーゴイル

賑やかなジェスチャー

特に刑務所のボスチャリオットは楽しかった

ラオウの馬車みたいなのと追いかけっこして倒す

楽しい不死の処刑だった

これはもはやダークファンタジーというよりファンタジーだ

ダクソ2を始めた

ダクソ無印が面白かったので一度ps3版を買ったのですが動きはトロくて理不尽な敵配置にウンザリして売ってしまった

一方ps4版はかなり変化しているようなのでそっちをやり始めた

動きがヌルヌル

敵配置が良くなった

輝石無限に買える?

ダクソは後半は露骨にアクションゲーだったが

こっちはアイテムが豊富でまた、敵は何度も殺していると枯れてRPG要素が強くなっている

これぐらいの難易度が楽しめる

こだわりは持たない

ノンポリという言葉がある

これは政治や社会についての考えがない人をさすらしい

だけど、特定の考えにこだわる人たちは危険だと思う

自分の考えが正しい 分からない人たちはおかしい そうして論戦が始まりしまいには暴力に発展する

だから戦争は終わらない

最近スッタニパータという原始仏典の一つを読んでそう思うようになった

何かに依存する事は楽しい

でもそれはいずれ苦しみを生む 

飽きてしまう苦しみ 他の事をする苦しみ

もっと欲しいという苦しみ

だから仏陀は何も持たない方がいいと言った

さすがにここまで極端な事はする気になれないけど依存しそうになったら何とかこらえてバランスを整えるのを心がけたい