ガラパコス野郎

ズレた学生の日記

作品に自分を投影してしまう現象

フィクションのとあるキャラに共感して自分のように慈しむという事をたまにしているが

自分が思っている通り動いてくれたら嬉しくてたまらない一方予想外の出来事に憤りを感じてしまう。

分身がうまくいっていることが気にくわないからだ。

この現象をとあるバンドの曲では堂々と歌われていて安心した。

スランプな自分の代わりに曲を作ってもらったらそいつが自分より売れて気にくわないという歌だ。

コミカルだけど自分の人生は結局自分で背負うしかないというメッセージがあり

何かに期待し過ぎて勝手に失望するのはやめようと思わされた曲であった。

やっぱり生きているだけでも充分すごい

生きているだけ、自分には何もないなんて不安になる事がある。

でも、親から離れて暮らしてみたらやる事が多くて面倒くさい。

全部親任せだった事を自らやっているからそう感じる。

これがさらに社会に出たら一気にやらなきゃいけない事が増えすぎる。

生活できる事自体充分立派な事のはずなのに

学歴が、年収が、スペックがと、人が価値を付けられてしまう。

金が無いと生きてけないけどもう少しどうにかならないのだろうか。

 

 

 

 

人生が自分に問いかけるって何だろう

ある本に自分が人生に問いかけるのでは無く

人生が自分に問いかけてくるという一文がある。

よく分からないけどTRPGゲームマスターの問いかけのようなものだろうか?

あなたはこんな状況に陥ってしまった。

さぁ、どうする?

明確なクリアの無いゲームだ。

意味はあるのだろうか。いや、意味は自分が作り出すものだ。

例えばキリスト教イスラム教の運命論や宿命論はまさに自分の人生を例え辛くとも肯定している。

日本でも現世でうまくいかなかった人間でも極楽浄土に行けるという発想がある。

昔から人は極限状況における意味を昔から見出していた。

今もできるはずなのだろう。

 

タクシードライバーを見た

前半の目標を見出せず鬱屈している描写から一気にマイノリティを軽視する大統領や治安を乱す黒人を殺すことに目的を見出し変貌するのがとても良かった

暗い話のはずなのに工作や筋トレがロマンチック。

地方の放棄は都会を苦しめる

実際地方はボロボロで特に北海道は笑えないのは知っているけど

三越の件はいつもどおり一極集中で地方は儲からないから見捨てるだった

地方都市に分散という方向に向かわないと大都市がパンクするだけだよ

未来の大都市は圧倒的競争社会になるかも