ガラパコス野郎

ズレた学生の日記

詩は素晴らしい

この時間がある夏休み期間にせっかくだから詩を読もうと考え作品をいくつか借りてきた。

今の小説や詩に比べ非常に分かりにくさがあるが時間をかけて読むととても良かった。

何より自分についての言葉がある。

自分の悩みや痛みについて詩人が代弁してくれる。

萩原朔太郎は説明できない憂鬱さを

中原中也は現状に対する諦めを

高村光太郎は胸に抱える途方もない情熱を

宮沢賢治は理想と現実の格差に対する悩みを

同じ事を考えていた人がいたという事実は自分の心を癒し前に進む力を与えてくれる。

新しいものだけが自分を楽しませるとは限らない。

長年人に知られている詩人だからこそ多くの人の心を掴んだので俺の心情も汲み取ってくれたわけだ。

もちろん小説や漫画にもこういった人の苦闘を描いた作品はあるがやはり物語を用意しなければいけない以上都合のいい展開が生まれる。

例えば、唐突に自分を理解してくれる人が現れる。 自分の能力が向上するなど。

だけど詩は物語より心情や規則などが優先されているのでその人の思った事を書きたいようにかける。

規則がある事で自由に文章を書けないぶんある程度添削され研ぎ澄まされた言葉を生み出す。

だからより共感しやすいのかもしれない。

今時間があるうちに読めるだけ読みたい。

Twitterの仕様変更

Twitterの仕様変更でとうとうブラウザ版にも他人のいいねが表示されるようになった。

かなり鬱陶しい。

いくらSNSといっても他人の全てを知りたいとは思わない。

おかしくなりそうだなあ。

早く人間やめたい

もっと書くと生物でいるのが嫌になる

自発的に生きるのがもう嫌だ。

周囲の言いなりから脱却して自分の意思で動くと決めたのにこれだ。

バイト選び失敗。 サークル選びも失敗。

失敗が怖くなって家に引きこもる日々。

成功より失敗が圧倒的に多いのでどんなささいな失敗でもかなりのダメージを心身に受けている。

精神病かと思って病院に行ったけど性格の問題で一蹴。

そもそも周囲に頼りにできる人はいない。

悩みを相談しても大したことのない一般論語られて終わり。

ネットはもう今更色々あって信頼できない。

二次元に没頭している時だけが至福。

現実の話になると途端に嫌になる。

もう自分だけで考えて生きるのが嫌だ。

自分の生き方は周囲には受け入れられない。

俺が周囲を受け入れたとしても周囲は俺を受け入れない。

萩原朔太郎の世界

最近アフタヌーンという漫画雑誌に載っている月に吠えらんねえにハマった。

作品のイメージを元に擬人化された近代の詩人たちの不思議な日常という話なのだが

主人公の萩原朔太郎が気になって図書館で作品集を一冊借りてみた。

すごく良かった。

近代の作品なのに今と変わらない悩みが伝わってくる。

将来への不安、周囲との劣等感や軋轢

現実逃避、この重苦しい心情を優れた感受性と洞察力をもって巧みに描いている。

分かりやすいのだと天に怒るという短編がある。

これは始皇帝に不死の効能をもつ薬を探すように命じられた男の旅の話である。

男は強い理想探究心を持つが故に危険な旅に参加した。

そして旅の過程で日本にたどり着き そこで同じく薬を長年探していた主人公の師匠に日本はありもしない理想を求めず現実の良いところを見つけてのびのびと暮らしているのだと教えられだから主人公もいつまでも夢見がちでいるなと叱咤される。

主人公もひとまず納得してここで暮らすのだがこの後の独白にひどく共感した。

大まかに書くとどれだけ一緒に日本人と暮らしていても自分と他人には見えない膜があり絶対に自分は受け入れてもらえない。

気を許して喋るとなぜか敵対心を抱かれる。

日本人はのびのびと暮らしているのではなく能天気なだけで自分とは違う。

という内容である。

僕も勇気を出して色々とチャレンジしても上手くいかず同じ絶望を味わったので納得する。

もはや自分が変われば世界が変わるなんてバカみたいなこと考えられない。

どうにもならないシステムが自分を包んでいるのだ。

自己啓発本は今だに流行っているが

世の中どうにもならない事だってある。

だから現実を拒否して空想に浸っていくのだ。

天に怒るの主人公のように。

 

昭和以前の光景

僕は現代より昔の話が大好きです。

昔というのは当たり前ですが今と違って全然状況が違います。

それがまるで異世界のようで夢見がちに見てしまうのです。

今の事を考えるよりそれとはかけ離れた世界を考えている方がずっと楽しい。

 

郷に入っては郷に従え

日本の有名なことわざです。

意味は自分のいる所のルールは守ろうねという意味です。

この言葉が最近よく胸に染みます。

なぜかというと、図書館で読んだ岩波出版の哲学トレーニングという本で言語ゲームという観念を知ったからです。

 

高校倫理の古典でまなぶ 哲学トレーニング 1――人間を理解する

高校倫理の古典でまなぶ 哲学トレーニング 1――人間を理解する

 

 

言語ゲームって倫理の教科書で見たことはあるけどよく分からないなと思っていたのでその、哲学トレーニングで何となく分かったのは嬉しかったです。

うまく説明するのは難しいのですけど、要するに「郷に入っては郷に従え」です。

詳しく書くと、言葉とは永遠不変の意味があるのではなくその時の状況で意味が変わり、それを使うコミュニケーションとはその都度ルールが変わるごっこ遊びのようだとウィトゲンシュタインは考えたそうです。

例えば、二人の子供がおままごとをしています。これは二人がおままごとをしたいから、そしておままごとのやり方が二人ともだいたい同じだから成り立っています。

これと同様にコミュニケーションも話す前から多くの前提の元に成り立っているというわけだそうです。

コミュニケーションがうまくいかないのは

向こうが将棋をしたいのに僕は駒でおはじきをしてしまう所でしょうか。

自分の事しか見えなくて他人の事をもう少し見ていればこうならないのかもしれません。

今までは、コミュニケーションがうまくいかないのは自分に合う人がいないだとか、センスがないとか感情論で誤魔化していましたが、こういう風に分かりやすく説明してくれる哲学があったおかげで何となく突破口が見えてきた気がしました。

今日のウンコ日和

カップ麺やカップ焼そばはとても安く食費の節約になりますが、大抵腹を壊します。

特にそれしか食べていないと下痢便確定です。

その癖、腹というのはワガママでウンコをモリモリ出した後腹が減る事があります。

何なんでしょうね。